深尾力三略歴    1946年群馬県水上村(疎開先)で生まれ3歳から東京、青山で育つ。 青山学院大学卒業後、サラリーマン生活(日本ユニシス)を経て1971年以降ヨーロッパ滞在。 渡欧当初はILO(ジュネーブ)にてチーフプログラマーとして勤務。 同時期パリに文化省のアトリエを得て画家としての活動も始める。 1979年レマン湖畔にアトリエを建て、1981年画家を生業と選びILOを退職。 1993年から2011年迄、オーヴェール・シュウ・オワーズに滞在。日本における絵画活動は1999年、ABCギャラリー(大阪、朝日放送主催)での初個展からスタート。 2012年以降、パリと京都へアトリエを構え現在に至る。 

個展歴


1975  アヌシー市立美術館  フランス

          メイエール画廊  ローザンヌ スイス

          コホク画廊  サンテチエン フランス

          ヴォルテール画廊  フェルネ・ヴォルテール フランス 

1976  W画廊  アヌマス フランス

          32画廊  リヨン  

1977  CAC画廊  ネルニエ フランス 

1979  オージュルデュイ画廊 ジュネーブ 

1982  32画廊  リヨン

1983  アール・ド・イル  ジュネーブ ジュネーブ市主催 

1984  ピーターセン画廊 トノン フランス 

1986  FIAC(パリ・アートフェアー) グランパレ パリ、彫刻家Lovatoと2人展

          ヌマガ画廊 オーヴェルニエ スイス

          ピーターセン画廊 トノン フランス

1987  ビルク画廊 コペンハーゲン 

1988  ピーターセン画廊 トノン フランス

          ベルナール・ルチュ画廊 ジュネーブ、画家吉田堅治と2人展 

1989  C画廊 オルフス デンマーク

          ソルコ画廊 ニュールンベルグ ドイツ

          JV画廊 マルモ スエーデン

          FIAC(パリ・アートフェアー) グランパレ 彫刻家Robert Jacobsenと2人展

1990  JV画廊 エーテボリ スエーデン

          ブルバード画廊 ジュネーブ 

1991  イングアンゾー画廊 マドリッド

          エスパス・スイス航空 ジュネーブ 

1992  スカンジナビア・アート画廊 コペンハーゲン 

          ピーターセン画廊 トノン フランス 

1998  ディアログ画廊 パリ 

1999  ABC画廊 大阪

          アガペアート画廊 神戸 

2000  シモンチーニ画廊 ルクセンブルグ 

2001  タメナガ画廊 大阪

          美雅画廊 名古屋 

2002  タメナガ画廊 パリ

2003  タメナガ画廊 大阪

          オーヴェール城 オーヴェール・シュウ・オワーズ音楽祭招待

        トレ・ユニオン ヌフシャトー ヌフシャトー市主催 フランス  

2004  タメナガ画廊 東京

         鹿島建設KIビル 東京 

2005  タメナガ画廊 大阪

         天満屋 岡山、広島、高松 

2006  天満屋 福山 

2007  シモンチーニ画廊 ルクセンブルグ 

          タメナガ画廊 パリ

       ブロワ城回顧展 ブロワ市主催 

2008  ニールセン画廊 コリング デンマーク 

2009  高台寺襖奉納記念展 京都

         三条祇園画廊 京都 

2010  シモンチーニ画廊 ルクセンブルグ 彫刻家中島修と2人展 

          三越 仙台 

2011  ジャン・ゴンドアン画廊 サンジェルマン・アン・レイ フランス

         箕面画廊 大阪 

2012  ベネディクティン宮殿 フェカン フランス 

2014  シモンチーニ画廊 ルクセンブルグ

2016  エレナシュキナ画廊  ロンドン

 

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高台寺襖奉納記念展に寄せてのテキスト       ローレンス・スミス(ロンドン大英博物館日本美術名誉顧問)

高台寺の名高い,由緒ある建物内部を使って,深尾力三(Fukao Rikizoの画業が展覧に供されるのを喜ぶ理由は三つある.ひとつは,私にとってRIKIZOが,長きにわたり敬愛してきた,かけがえのない芸術家であること.もうひとつは彼の作品群が,展示の背景となる伝統的な仏教のコンテクストに,実にぴったり適合すると思われてならないこと.そして三番目は,この展覧会が日本の文化と国際的な文化,両者それぞれの表力の,重要かつまたとない歴史的瞬間における出会いをしるしづけるものとなることである.

 RIKIZOの芸術家としてのキャリアを追い,文章を書き続けて,もう何年にもなる.始めから私は彼の絵画の物理的[フィジカル]な均衡[バランス]にたえず讃嘆を惜しまなかった.作品の物理的なスケールが増大するにつれて,ますます確固たるものとなるように思われる均衡である.「均衡[バランス]」という言葉で,私は各々の作品において,そこに現出する形態の間に存在すると感じられる,不可避の関係性という感覚を意味しているつもりだ.もちろんある意味でこれは,成功した芸術作品の場合には,必ず見て取れるものであるにちがいない.けれどもより日本的な意味で,RIKIZOの均衡は東アジアの書道[カリグラフィー]の均衡にきわめて近いものであろうと,私は考えている.実際,彼の作品に接して最初に気づいたことのひとつは,しばしば黒で描かれる,執拗なまでに長く延びた形態が,微妙ではあるがまざまざと,漢字の画[かく]を思わせることだった.楷書でよく見られる,急に方向を変える漢字の画である.実際,彼の創る大きなタブローは,まるで夢の中で見るような,書かれた文字の拡大画像にも似た印象をしばしば感じさせる.これこそが彼の仕事を,高台寺という濃密な日本的環境に,これほど調和を保って適応させる要素のひとつであろう.

 もっとも,書の本質は白地に黒という点にあるという反論がなされるかもしれない.たしかにRIKIZOの絵画は,その多くが黒地に赤,あるいは青ないし緑の地に黒であり,近年は赤地に赤のものもある.けれどもその観点からの反論は,もっと幅の広いコンテクストを見失わせることになりかねない.つまりこれらの配色は,すべて相対立するものの間での緊張を,すなわち暗さと明るさ,存在と無の間の緊張を表すものであるが,そのような緊張は主要なすべての宗教,そして哲学における中心的問題そのものなのだ.RIKIZOはその作品を通じて,およそ真剣な芸術家であれば誰もが,それぞれさまざまなやり方で行なっているように,こうした深奥の探求を続けている.だから私にとって,彼の作品が偉大な仏教寺院にふさわしいと見なされるようになったことは,少しも驚くにはあたらない.そしてさらに,この展覧会を訪れる人々は,彼の赤や黒の表現が,決して平板でないことに気づくだろう.伝統的な襖絵や屏風の金箔地のように,その肌理[きめ]は複雑かつ多様で,一日の時の進行にしたがって変化する光のさまざまな外観[アスペクト]を捉えきる.これは仏教的思考の中心にあって,「あわれ」という語によって,特殊日本的な表のなされていた,あの無常ということの視覚化である.さらに気づかされるのは,RIKIZOの作品はすべて,静的であると同時に動いているということだ.その作品は三次元のキャンヴァスという物理的な制約を越えて,見る人の目をたえず,かつて何が起こったのか,そしてこれから何が起こるのかを探ることへと導いていく.実際,作品の中には,あたかも自身の物理的現実に挑戦するかのように,キャンバスの縁をはみ出て,さまようものがある.これは無常ということと,私たちの体験するものの即時性との両方の性質を帯びるものであり,そしてこのこともまた,すべての真剣な芸術の中心に存在するものであろう.

 ここまで私はある特定の芸術家の芸術について語ってきた.けれどもこの展覧会にはこれまで例のない,きわめて特異なものがあり,私は美術史家として,そのことがもっとも意味深いものであると信じている.それは純粋に抽象的な絵画が仏教寺院のために選ばれたということではない.抽象的図像の導入ということだけなら,頻繁とはいえないまでも前例のあることだからだ.それよりむしろ,150年に及ぶ日本の芸術家たちの精力的かつ目覚ましい西欧流の油彩の追求の歴史からすると驚くべきことかもしれないが,今回初めて,こうした技術によってキャンヴァスに描かれた絵画が,高台寺のような伝統的宗教建築の内部で用いられたのである.これまで用いられてきたのは,紙か絹布だった.けれども今回の展示のために,RIKIZOは襖絵や掛け軸,そして小さな屏風絵にも適用できるような作品を生みだすのに,多大な労力を注いだ.これは画家だけではなく,表師や,そしてもちろん寺院関係者等の想像力と創意を必要としたはずである.

 私たちは,ふたつの偉大な芸術的伝統の出会いという歴史的瞬間に立ち会っているのだ.大胆でなければありえなかった試みだが,その成果は,美しく,かつ長く記憶に留められるものであり,想像的で勇気ある実験としてだけではなく,日本美術の豊かで新しい流派の始まりを告げるものとしても記憶されることだろう.